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04:00 ◎ 7月18日(金)いっぱいまで、「原子力災害対策指針の改正案」パブコメが実施されています。受付締切日時は「2025年7月19日0時0分」です。 近年、一部のパブコメに大量の意見がコピペで出されるなどで問題だと、意見提出を牽制、抑圧するような言論が飛んでいます。 しかし意見表明が多い案件は、それだけ批判や異論も大きな案件であり、国論を二分するようなものもあります。 そうした案件が、たいした議論もされずに、決定されてしまうこと自体が問題なのであり、意見の数で行政手続きが滞るかどうかなど、些末な問題です。 こうした、木を見て森を見ずの議論ばかりが横行するなかで、原発利用拡大の方針大転換が議論も経ないままに起こり、政府の独断専行で様々な原子力行政の方針が決められていることを、なんとか止めなければなりません。 ◎ 今回は、「原子力災害対策指針の改正案」という案件ですが、これは、原子力規制委員会が了承し、パブリックコメントを経て9月頃に正式決定される予定です。 改正案では、原発事故時の住民避難や被ばく防護策の在り方が見直され、特に「屋内退避」の運用に関する具体的な条件や期間が盛り込まれています。 そのパブコメ文章を作成してみました。これをコピペしてくださいという意味ではありません。 このような問題点を含むという趣旨でお読みいただき、時間が限られますが、パブコメを出そうと思われた方は、以下のURLから、提出に取り組んでください。 原子力災害対策指針等の改正案(屋内退避の運用、原子力災害拠点病院等の要件確認の頻度)に対する意見募集についてhttps://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=198025104&Mode=0 原子力災害対策指針に対するパブコメ 放射線防護原則の逸脱と非現実的防災体制の限界を指摘する はじめに 2025年6月19日から開始された「原子力災害対策指針の改正案」のパブコメに対し、放射線防護・災害リスク管理の見地から、重大な論理的・科学的・制度的問題があることを指摘し、指針が依拠する想定と対応の枠組みそのものが根本的に機能不全であることを明らかにしたうえ、その問題点を指摘する。 1.放射線防護原則(ALARA、最適化)の根本的欠如 2.国民への防護基準の非開示性と周知体制の不在 3.自治体の体制的脆弱性と人材・資源不足 4.規制当局の不作為と責任構造の空洞化 5.防災コストの実質的な過小評価と国家財政への影響 1.放射線防護原則からの根本的逸脱 (良い悪いは別にして)改正案では、ICRP(国際放射線防護委員会)が提唱する放射線防護三原則「正当化、線量限度、最適化」のうち、「最適化」の実装が著しく不十分である。 いわゆる「ALARAの原則」と呼ばれる「As Low As Reasonably Achievable」は、被ばく線量を社会的・経済的要因を考慮しつつ「合理的に達成可能な限り低く」することを要請するが、改正案ではこれに代えて「できる限り低減する観点から」などという曖昧で実効性を欠く表現に終始している。 市民的感覚では、被ばくはゼロとすべきであるが、原子力を推進する国や事業者は、それでは成り立たないから、ALALAの考え方を強制してきた。 であるならば、それを強制してきた立場からも、規制当局はこれを厳格に適用し、通常ならぬ事故時であるからこそ、それからの逸脱を認めず、厳格に適用する立場を守らなければおよそ行政の信頼性など望むべくもない。 東電福島第一原発事故で信頼失墜を経験したはずの放射線防護行政を、失墜してしまった地点まで引き下げるかのような、このたびの改訂は認めることが出来ない。 放射線防護の基本的考え方を勝手に変えているものであり、それを認めていたら基本的考え方がずれたままで、強行することになるのである。 さらに、避難・屋内退避・摂取制限等における具体的な「線量制約値の設定根拠」や、対策間の比較評価(コスト・効果分析等)も示されておらず、ALARAの考え方である「合理性に基づく選択」を実施不可能にしている。これでは、住民の被ばく低減を制度的に担保することはできず、福島第一原発事故と同様に「場当たり的・恣意的対応」に陥ることが懸念される。 2.防護基準の周知体制と住民理解の欠如 指針案は、住民が被ばく防護に必要な情報、たとえば緊急時に避けるべき線量、屋内退避の効果、食品・水道水摂取のリスク評価を事前に理解し、自律的に判断できるような「情報提供体制の整備」に一切言及していない。 特に、運用上介入レベル(OIL)や緊急活動レベル(EAL)などの指標は、住民には理解困難な専門用語でありながら、実際には避難や摂取制限を強制する根拠として使われる。 これらの「定量的意味と影響の説明」が一切行われていないことは、被ばく低減の「主体」を行政が独占する構造を温存しており、放射線防護の民主化という視点を著しく欠いている。 また、東電福島第一原発事故後の教訓「専門用語が一方的に使われ、住民は何に基づいて判断されたか分からなかった」という批判に一切応答していない点でも、極めて問題である。 3.自治体の防災能力の欠如と非現実性 指針案は、実質的に避難判断・実施の初動を自治体に委ねているが、多くの地方自治体にはそのような能力も人材も資源も存在していない。 防災人員の絶対数の不足:原子力災害を想定した自治体職員・専門家はほとんど配置されていない。 シナリオ訓練の欠如:広域避難・放射線評価を組み込んだ実働型訓練は極めて稀で、住民や関係機関との合意形成も不十分である。 情報通信の脆弱性:事故発生時の情報伝達手段が限定されており、地震・津波等の複合災害時には確実に破綻する。 結果として、指針が想定する「数時間以内の判断」「OILに基づく即時対応」は、制度的には示されているが、物理的・人的には実現不可能である。これは、防護体制を有しているかのように見せかける「擬制的な制度設計」である。 とりわけ、地震や津波、火山噴火等自然災害や紛争、武力攻撃等の事態が複合した際の防災体制は無に等しい。これら災害に第一義的に対応する自治体は、これだけでもはや手に余る状態になり、その後の原子力災害が重畳しても対応不能である。 第一、自治体職員も同時に被災者となる災害時に、外部からの支援も放射線の影響で不可能になることから、取り残され、避難不能になる地域への対策をどうするのか、能登半島地震の経験でも課題は明らかであるのに、自然災害との重畳を判断することを規制当局は放棄してさえいるのである。 4.国・規制当局の不作為と責任構造の回避 原子力規制庁や内閣府は、「避難判断は自治体の責務」「放射線防護措置の最終判断は現地の判断」とすることで、実質的に国家の責任を回避する構造を温存している。 福島事故後、政府の情報伝達の混乱、SPEEDIの非公開など、「国家による不作為」が被ばくリスクを拡大させたことは明白である。 しかし、本指針案では、これら過去の過失の反省が制度として組み込まれておらず、再び「責任の所在が曖昧なまま」大規模災害が進行する可能性が高い。 5.防災体制の構築コストと財政的限界 真に有効な原子力防災体制すなわち、即時放射線モニタリングシステム、リアルタイムシミュレーション能力、数十万人規模の避難輸送体制、代替水源と食料供給線、除染資材・医療体制を現実に整備するには、莫大な資金・人員・技術的支出が必要である。 ところが、こうした原子力防災体制の整備・維持費用は、原子力発電の「外部コスト」として一切電力単価に反映されていない。そのため、原子力は「安価で安定」とされるが、これは費用構造を意図的に歪めた虚偽の経済性評価である。 しかも、福島第一原発事故は、想定されうる最大規模の原子力災害ではない。 たとえば、複数原発の同時過酷事故、核燃料再処理施設の災害、大都市直近での炉心損傷が生じた場合、その人的・経済的損失は「国家財政の破綻を招く規模」となりうる。 6.結語 以上のように、「原子力災害対策指針の改正案」は、 (1)放射線防護の科学的原則(ALARA)から逸脱しており、 (2)制度的には住民保護を装いながら、その実現可能性を欠き、 (3)自治体や住民に責任を転嫁する構造のまま、 (4)膨大なコストとリスクを「見えない形」で社会に押しつけている。 このような体制は、制度としても倫理としても持続可能性を有していない。 原発が抱えるこのような「制御不能性」「防災不可能性」は、原子力の正当性そのものを否定するに等しい。 従って、大規模な原子力災害から住民を守るには、原発ゼロの方針こそが、社会的合理性・経済的持続可能性の両面から導かれる唯一の結論である。 よって、本指針案は、抜本的見直しとともに、原子力依存からの脱却を前提とした政策転換の一環として考える視点から、廃案とすべきである。 |
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KEY_WORD:能登2024-原子力災害対策指針-見直しへ_:FUKU1_:NOTOHANTO-2024_: | ![]() |
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