[2025_02_28_04]「えっ?」吉田所長の声が揺れる――原発の生命線が断たれた瞬間(現代ビジネス2025年2月28日)
 
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「えっ?」吉田所長の声が揺れる――原発の生命線が断たれた瞬間

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 東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。文庫版『福島第一原発事故の「真実」ドキュメント編』より、その収録内容を一部抜粋して紹介する。
 免震棟の円卓に、緊迫した空気が漂っていた。「非常用発電機が落ちた!」現場からの報告に吉田は息をのむ。原因はわからない。ただ一つ確かなのは、時間がないということだった――。

 錯綜する免震棟

 中央制御室の異変は、免震棟にもすぐに伝えられていた。
 「SBO! DGトリップ! 非常用発電機が落ちた」連絡を受けた発電班長の大声が円卓に響いた。
 本部長席の吉田が思わず「えっ?」と声を出した。非常用発電機がやられた? 握りしめていた頼みの綱が唐突に切れてしまったようなものだった。
 「大変なことになった」吉田は頭の中でぐるぐると考えを巡らせていた。非常用発電機を生き返らせられないのか。それがなくなったらどうする。イソコンやRCICがあれば、とりあえず、数時間は冷却できる。けれど、次はどうする? しかし、不安がまとわりついた自らの思考を、部下に向けて口には出さなかった。所長の仕事はまず対外的な連絡だった。
 吉田は、テレビ会議のマイクをとった。「10条の発令をお願いします」
 午後3時42分。原子力災害対策特別措置法にもとづく特定事象、全交流電源喪失が通報された瞬間だった。230キロ先にいる大型ディスプレイに映る東京本店の幹部の顔に驚きが走った。免震棟の円卓を囲む幹部にも緊張と当惑が入り混じった表情が浮かんだ。吉田の隣に座るユニット所長の福良は、「訓練でしか起きたことのない10条がまさか現実になるとは」と、どこか半信半疑の心地だった。
 しかし3号と4号もSBOだと報告されていた。
 10条通報はまぎれもない現実だった。なぜだ。非常用発電機に何が起きたのか。
 このとき、まだ吉田や免震棟幹部の頭の中には、非常用発電機の停止と津波を結びつける回路はなかった。免震棟には窓がなく、外の様子をうかがい知ることはできなかった。免震棟の壁面には、テレビ会議のほかに、NHKや民放テレビ局の放送を6分割で映し出す大型ディスプレイがあった。その画面は、東北地方から関東沿岸まで赤い線がチカチカと光り、大津波警報が発令されていることを告げていた。しかし、この時点で、福島県沿岸の津波の高さは3メートルから5メートルと報じられていた。10メートルを超える津波が原発を襲ったとは、想像がつかなかったのである。
 何とか電源を確保しなければならない。ほどなく吉田がテレビ会議で本店に向かって声をあげた。
 「電源車を持ってきてください。どこからでもいいから」
 このとき、福島第一原発には、1台も電源車がなかった。4年前の中越沖地震で柏崎刈羽原発3号機の変圧器が火を吹いた際、鎮火に2時間もかかったという批判を受けて、福島第一原発にも3台の消防車が配備された。しかし、この時点で、東京電力には、電源喪失という危機に思いを馳せて、電源車を原発構内に配備するという発想はなかったのである。
 本店からは、すぐに電源車を手配するという回答が返ってきた。
 午後4時を過ぎた頃だった。にわかには信じられない話が円卓に飛び込んできた。
 原発敷地の海岸沿いにあった重油タンクが根こそぎ津波で流されたというのだ。さらに、外の避難場所にいた何人もが大きな津波が来たのを見たと報告してきた。
 この段階で初めて、吉田は、非常用発電機が動きを止めた原因は、津波ではないかと思い始めた。
 「1号、2号の計器が見えないそうです」
 発電班長が中央制御室からの新たな報告を伝えてきた。
 中央制御室の計器類の電源は、交流の非常用発電機ではなく、直流のバッテリーだった。津波で非常用発電機だけでなく、同じ地下1階にあるバッテリーも水をかぶって動かなくなったのではないか。吉田や幹部は、信じたくない現実に向き合わざるを得なかった。
 電源を担当する復旧班長の稲垣武之(47歳)は、同僚の第二復旧班長と思わず顔を見合わせていた。稲垣は、大学院で機械工学を専攻し、原発の補修畑を歩んできたキャリア組だった。一方、第二復旧班長は、東電学園を卒業後福島第一原発に長く勤め、原発の隅々までよく知っている56歳の叩き上げの技術者だった。奪われた電源を取り戻さなければならない。2人の肩に困難で重い任務がずっしりとのしかかってきた。
 吉田は、電源をなんとかするよう2人に指示した。ただ、原発の補修畑を長く歩み機械屋を自負する自分でもどうすればいいのか、良い知恵は浮かんでこなかった。
 さらに連載記事<「イソコンは動いている」―吉田所長の判断が招いた、福島第一原発事故「暗転」の転換点>では、事故対応に決定的な影響を与えた「非常用冷却装置イソコン」をめぐる錯綜した状況について解説する。
 NHKメルトダウン取材班
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