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[2025_01_12_01]柏崎刈羽原発はどうなる?再稼働巡る新潟県知事の“判断”、ヤマ場は春ごろか(新潟日報2025年1月12日) | ![]() |
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参照元
11:51 2024年は政府が新潟県や柏崎市、刈羽村に対し、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に同意するよう要請する大きな局面を迎えた年だった。政府は年内再稼働のシナリオを描いたものの、24年1月1日の能登半島地震を受けて、新潟県民の中で原発事故時に安全に避難ができるのかとの不安が高まった。鍵を握る花角英世知事が再稼働の是非を判断できる状態にならないまま年を越した。2025年春ごろには花角知事の判断材料が出始めるとみられ、政府の働きかけがさらに強まる可能性がある。 再稼働議論が本格化するきっかけになったのが、斎藤健経済産業大臣(当時)の要請だった。3月18日、斎藤氏は花角知事らに電話で再稼働への理解を求めた。3日後には村瀬佳史・資源エネルギー庁長官が新潟県を訪れて花角知事に文書を手渡した。 「(政府が)ボタンを押した」。花角知事が12月25日の定例記者会見でこう表現したように、政府の動きは要請を境に活発化していく。 水面下ではエネ庁幹部が新潟県庁や県議会を定期的に訪れ、県幹部や自民県議団との意思疎通を図った。関係者によると、当初政府内には、電力需要が高まる夏を前にした県議会6月定例会で花角知事が再稼働を容認する、とのシナリオがあったとされる。 この1年、再稼働の是非を巡る花角知事の姿勢は一貫していた。「再稼働に関する議論を深め、県民がどう受け止めるか見極めたい。どこかで結論を出し、県民の意思を確認する」。背景には、能登半島地震を受けて県民の間で広がった避難への不安がある。 首都圏の電力供給を安定させたい政府は6月、県や柏崎市、刈羽村が要望していた北陸道へのスマートインターチェンジ新設などについて全額国費で 整備する異例の方針を表明。11月には具体化に向けた国と県の協議が始まったが、事業規模や見通しが明らかになっていない部分も多く、議論の長期化も予想される。 花角知事が見極めるとする「県民の受け止め」は安全対策だけではない。事故のリスクを負って再稼働しても、電力料金の低下など県内に経済的メリットがないとの議論は県議会でも以前からあり、政府がどう県民の納得感を得るかも重要となる。 自民の茂木敏充幹事長(当時)は7月に長岡市で講演し、原発立地地域が恩恵を受ける仕組みが必要と強調し、与党も寄り添う姿勢を示した。だが現時点で具体的な動きはないままだ。 ヤマ場の一つになりそうなのが2025年春だ。原子力規制委員会は25年3月までに、原発事故時の屋内退避の運用見直しについて報告書をまとめる。柏崎刈羽原発の安全対策を確認する県技術委員会は12月26日に報告書をまとめ、24年度末までに花角知事に報告する。いずれも花角知事が判断材料にするとしてきた。 春に先駆けて、政財界の有力者も動いている。 11月には経済界のトップ、経団連の十倉雅和会長が柏崎刈羽原発を視察し、「一刻も早い再稼働を期待する」と述べた。12月22日には原発の最大限活用に政策を転換した岸田文雄前首相が新潟県を訪れた。新潟県の経済関係者らとの昼食会では、原発についても話題に上ったという。 花角知事周辺では、花角知事が自身の判断を示して「信を問う」のは、26年6月の任期満了に伴う知事選では、との見方がある。ただ、強まる一方の再稼働圧力に、ある自民党の県議会議員は「政府はそこまで待ってくれるだろうか」と不安も口にする。 柏崎刈羽原発の再稼働は政府や東電にとって悲願とされてきた。さまざまな思惑が交錯する中、2025年を迎えた。 |
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KEY_WORD:能登2024-柏崎刈羽_:NOTOHANTO-2024_:KASHIWA_: | ![]() |
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