[2024_12_05_06]「活断層」真上の建築物は地震が来たら損壊必至、しかし日本では学校や幼稚園が建っているという実態 【地震大国日本の今】活断層の歴史から規制を施すことが被害軽減の鍵 添田孝史(JBpress2024年12月5日)
 
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「活断層」真上の建築物は地震が来たら損壊必至、しかし日本では学校や幼稚園が建っているという実態 【地震大国日本の今】活断層の歴史から規制を施すことが被害軽減の鍵 添田孝史

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兵庫県淡路市の北淡震災記念公園では阪神淡路大震災で大きくずれ動いた野島断層を見学することができる(写真:共同通信社)

                    (科学ジャーナリスト:添田 孝史)

 「活断層」という言葉は、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震、1995年)を機に広く知られるようになった。その後も、熊本地震(2016年)や能登半島地震(2024年)など、活断層が引き起こす地震が相次いでいる。能登半島地震では、活断層のずれにより陸地が一気に4mも隆起した。また、敦賀原子力発電所2号機は活断層の真上に位置することから、2024年11月に再稼働が不許可となり、活断層直上のリスクも改めて注目されている。
 阪神・淡路大震災から30年。私たちは活断層への対処が少しは上手になったのだろうか。阪神・淡路大震災の時、活断層のずれをいち早く報告した中田高・広島大名誉教授に尋ねてみたら「付き合い方がうまくなったようには見えない」との返答だった。むやみに恐れるようにはなったが、活断層直上に重要な建築物を建てないようにするなどの規制は進んでいないというのだ。(敬称略)

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中田高・広島大名誉教授。専門は変動地形学。日本活断層学会会長、地震調査研究推進本部の地震調査委員会活断層分科会主査などを務めた。

 ようやく活断層が注目されるようになった

 1995年1月17日の兵庫県南部地震の発生後、地震を引き起こした活断層の正体を解明するため、研究者たちは場所を分担して調査を開始した。多くの研究者が被害の大きかった神戸側に向かう中、中田ら広島大学のチームは「それなら淡路島を調べよう」と現地に向かった。
 本州側からのフェリー運航が止まっていたため、四国経由で当日深夜に淡路島の北淡町に到着した。車で少し仮眠して、翌朝明るくなってから調査を始めると、すぐに活断層のずれが確認できた。淡路島北端の江崎灯台に登る階段が途中で断たれ、約1.2m横にずれていた。
 この地震で活断層のずれが地上に現れた様子が初めて確認されたのだ。

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活断層の横ずれが原因でできたものとみられる淡路島・北淡町の農地の亀裂(写真:共同通信社)

 「それまでほとんどの人が知らなかった活断層という言葉が、メディアで繰り返し取り上げられ、一気に注目されるようになりました」
 活断層のずれは田んぼを横切り、道路や用水路を破壊しながら約10kmに渡って続いていた。その一部は、現在も野島断層保存館に当時の姿のまま保存されている。
 兵庫県南部地震は、野島断層など淡路島西岸から、六甲山地南麓にかけての約30kmの断層がずれ動いて引き起こした。神戸側では野島断層のような明瞭な地表のずれは見つからなかった。神戸側では活断層の深い部分だけが動いたと言われているが、本当は震災の帯と呼ばれた場所に無数の亀裂として断層が現れたのではないかと中田は考えている。

 地震被害軽減のためには活断層直上に建築してはならない

 最近数十万年間に動いた痕跡があり、今後も地震を引き起こす可能性が高い断層を「活断層」と呼ぶ。その分布や特性については、兵庫県南部地震以前は一部の研究者による地道な研究に限られていた。
 「山はどうしてできたのだろうかなど、地形を作る原因として活断層を捉えている研究者が多く、ここで将来地震が起こりますよ、という予測に結びつけて言っていた人はまだ少なかった」
 野島断層は1970年代終わりには通産省地質調査所の寒川旭らが報告していた。報告されていた通りの場所で、今回もずれ動いた。
 研究者の成果をまとめ、日本全体の活断層の位置や長さを20万分の1の地図上で一覧できるようにしたのが「日本の活断層」(東大出版会、1980)で、野島断層も掲載されていた。1991年には、「新編日本の活断層」も出版されていたが、そのころは活断層による大きな地震が国内では起きていなかったから、注目されることはなかったという。
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阪神淡路大震災で発生した淡路島の農地の亀裂。淡路島の北淡町で(写真:共同通信社)

 一冊3万6050円もする、大きくて重いこの本は、阪神・淡路大震災の後、一気に販売数が増えた。
 朝日新聞のデータベースに収録されている1985年から1994年まで10年間の記事で、「活断層」という単語を含むのは70件。1995年から2004年は1776件に急増する。


主要活断層の位置と地震の規模(地震調査研究推進本部による)

 兵庫県南部地震の後、政府に地震調査研究推進本部が設置された。全国の陸域に約2000あるとされる活断層のうち、長さ20km以上などの条件を満たす114の主要活断層帯の調査を進め、活動度などを調べて長期評価を公表するようになった*1。国土地理院は都市部などを中心に「1:25000活断層図」の作成を進めた。ウェブの地理院地図*2で閲覧できるから、自分の家や職場、子どもの学校と活断層の位置関係を確かめられるようになっている。

*1 政府 地震調査研究推進本部「主要活断層帯の長期評価」
*2 地理院地図

 活断層直上の利用、適正に

 淡路島だけでなく、フィリピン(1990年、M7.8)、パキスタン(2005年、M7.7)など世界各地で、活断層が地震を起こす前、そして地震をおこした直後の様子を中田は見てきた。その経験から導きだした結論は、「活断層の直上を避けること」と「耐震基準を満たしたしっかりした建物を建てること」だという。熊本地震でも、幼稚園や保育所、大学の校舎の真下を活断層が通っており、もし昼間に地震が発生していれば、多くの子どもたちに被害が及んでいた可能性がある。
 最新の耐震基準を満たす建物なら、活断層による揺れには耐えられる。しかし、活断層の真上では地表のずれが発生するため、どんなに頑丈な構造物でも損壊を免れるのは難しい。
 米カリフォルニア州では、1972年に、活断層から両側約15m以内では、原則として人が住む建物の新築を禁止する『活断層法』がつくられた。
 中田は、阪神・淡路大震災の5年前に専門雑誌に記事*3を書き、この法律を紹介した。こう締めくくっていた。
 「(日本でも)地震災害軽減のためのこのような『活断層法』の一日も早い導入が望まれる」
 徳島県は2012年に定めた条例で、県内を東西に走る中央構造線断層帯沿いの幅40mの範囲に、学校や病院など多数の人が集まる施設や、危険物を扱う施設を新たに建設する場合は、県への届け出を義務づけ、活断層調査をしたうえで直上を避けて建てるよう求めている。
 ただし、全国的にはあまり広がっていない。
 「市町村で、活断層がどこにあるかということを知らない役所は今や無くなったでしょう。では、その災害が起こらないように何かしましたか、なるべく建てないように助言していますか。それは情報が使われていないということ。建設禁止と言うと強い拒否反応が出てくるから、適正利用を進めましょうという形で進めると良いでしょう」

*3 「地学雑誌」1990年(99巻3号)〈カリフォルニア州の活断層法「アルキスト−プリオロ特別調査地帯法(Alquist-Priolo Speacil Studies Zones Act)」と地震対策〉(中田高)

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こちらも阪神淡路大震災で姿を現した淡路島・北淡町の活断層(写真:産経新聞社)

 地形が物語る災害の歴史を知り、その活用を

 中田の卒業論文のテーマは種子島の海岸段丘だった。
 データと数式を駆使して研究する書斎派の研究者とは違い、現場の観察が第一と教えられてきた。「先輩に鍛えられ、自分の足と目で地形に刻まれた地殻変動の証拠を地道に集めました」
 卒論の調査地に近い屋久島に活断層があり、それから活断層に注目するようになった。博士課程でインドに留学し、ヒマラヤの活断層を研究した。留学した55年前は、中国とインドで国境紛争が起きて間もないころだから、地図さえ自由に使えない。現地調査に出る前に図書室でトレーシングペーパーを使って地図から等高線を写し取るのに1年かかった。「これが良かった。地形を丹念に見る勉強になりました」
 そんな時代から、航空写真、ドローン、航空レーザー測量によるDEM(数値標高モデル)と、どんどん新しい手法を研究に使い続けているが、地形から情報を読み取る大切さは変わっていないという。昨年は、日本活断層学会の公開ワークショップで、「後期高齢者DEMを使う」と題した講演をして、「中田さんらしいよ」と参加者を唸らせた。

 「たかが地形、されど地形。地形は常にゆっくりと変化しているわけではなく、時に突然大きく変わる。自然災害の多くは、このような場所に不用意に人が居住するために起きるのです。これは活断層だけでなく、土砂災害などにも当てはまる。地形を読み解くことで、過去に異常なことが起きた場所、すなわち災害につながる危険な場所を知り、将来起こりうることに備えることができる。その知識をもっと生かせるようにするべきです」

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