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[2025_02_21_05]「イソコンは動いている」―吉田所長の判断が招いた、福島第一原発事故「暗転」の転換点(現代ビジネス2025年2月21日) | ![]() |
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参照元
06:01 東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。文庫版『福島第一原発事故の「真実」ドキュメント編』より、その収録内容を一部抜粋して紹介する。 2011年3月11日、福島第一原発。津波による全交流電源喪失という未曾有の事態に直面した吉田所長は、冷却設備「イソコン」が稼働していると思い込んでしまった。しかし、この判断ミスが、その事故対応に決定的な影響を与えることになった―。その転換点を追う。 電源の復旧だけではない。計器が見えなければ、中央制御室の運転員はどうするのか。原発の運転操作はどうすべきなのか。改めて大変なことになったと吉田は思った。しかし、原発の操作に関しては、運転員たちのほうがプロだ。箸の上げ下ろしまで、ああやれ、こうやれと部下に指示するのは、トップの所長がするようなことではない。運転操作は、中央制御室の運転員や発電班長ら信頼できる現場に任せておくべきものだ。リーダーたる所長のやるべきことは、全体を見据えた指揮であり、今は状況把握と対外連絡と考えていた。 計器が見えないことは、核燃料が冷却されているかどうかわからないことを意味した。それは、全交流電源喪失よりさらに一段高い危機だった。 吉田はテレビ会議に映る本店に向かって声をあげた。 「原災法15条です。15条の通報をお願いします」 午後4時45分。原子力緊急事態にあたる原子力災害対策特別措置法15条が通報された。 本店の幹部が居並ぶテレビ会議の映像からも明らかな動揺が伝わってきた。 原発はスクラムが成功して止まったとは言え、300℃あった核燃料は強い熱を帯びている。その核燃料に水を注ぐことで熱を徐々に冷まし、100℃まで下げる作業が続いていたのだ。その注水が止まったとなると、原子炉温度は、熱を帯びた核燃料によって、再び上昇し始める。その行く末は……。 ただ、この時点で、吉田は、計器が見えなくなったことで、原子炉が冷却されているかわからなくなったが、冷却は続いていると考えていた。1号機はイソコン、2号機はRCICが動いていると思っていたからだ。 ほどなく円卓に、3号機は、バッテリーが生きていて、計器は見えているという連絡が届いた。3号機は、地下1階と1階の間にある中地下室にバッテリーが設置されていた。地下1階にバッテリーがある他の号機より高い位置にあったことが幸いして、津波の被害を免れたのだった。3号機の中央制御室は、バッテリーを使ってRCICを手動で起動させ、原子炉への注水を続けていた。 2号機からは、電源が失われる直前にRCICを手動で起動させたと連絡を受けていた。RCICは、起動するときは電源が必要だが、後は蒸気の力で動き続ける。蒸気の流れを調整する機器を動かすバッテリーが途絶えた今、不安はあったが、動き続けているのではないか。吉田はそう考えていた。 そして、1号機のイソコン。一度起動すると、電気の力を使わなくても、蒸気の力で循環して動く仕組みを持つ。バッテリーがなくても、動き続けるはずだ。「イソコンは動いている」この吉田の思い込みが、後の事故対応を大きく左右することになる。 さらに連載記事<「福島第一原発事故」発生直後、東京電力本店で起きた混乱の一部始終>では、地震発生直後の東京電力本店の緊迫した状況を解説する。 |
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