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[2021_02_18_08]検証 東日本大震災10年 5 原子力規制 惨事の経験生かせるか 「保安院は原発推進のツール」 業界や経産省が骨抜きに 事故直後から再稼働画策(東奥日報2021年2月18日) | ![]() |
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東京電力福島第1原発事故は、当時規制機関だった経済産業省原子力安全・保安院が電力業界や経産省などに取り込まれて骨抜きにされ「規制のとりこ」となったことが大きな原因だった。この教訓を踏まえて発足した原子力現制委員会は、あのような惨事を防げるのか。事故後の10年を検証する。 (敬称略)
2011年3月中旬。3基が水素爆発した第1原発は危機的な状況が続いていた。保安院長の寺坂信昭(67)らは状況報告のため、経産省事務次官の松永和夫(68)の部屋を訪れた。 説明をひとしきり聞いた松永は「こんなものどうでもいい。優先すべきは原発の再稼働だ。どうやって動かすかを考えるのが保安院だ」と述べ、他の原発が運転を続けるための対策を新たにつくるようせかした。 同席した保安院幹部は「まごうことなき原子力災害が起きたんですよ。事故調査もしていないのに、できないと思いませんか」と反論した。しかし松永は「じゃあ君には頼まない」と、その場で別の幹部に電話をかけた。「具体的には寺坂から話がいくから」 保安院は突貫工事の末に同下旬、大津波に襲われても核燃料の冷却ができるように電源車や消防車の配備などを求める「緊急安全対策」をまとめ、電力各社に具体化を指示した。だが、防潮堤の設置やかさ上げといった抜本策には目をつぶった付け焼き刃にずぎない。 公表直前の会議。担当課長が「メルトダウンは防げないが(放射性物質を含む蒸気を放出する)ベントをすれば、第1原発のようにはならない」とメルトダウンを容認するような説明をした。 出席者から「設置許可の想定を超えている。法令違反ではないか」と異論が出たが、対策はそのまま指示された。 担当課長は「次官がやれと言ったからやるんです」と話していたという。 異論を唱えた職員は「国が許可した原発が過酷事故を起こしたのだから、他の原発で起きない保証はない。裁判を起こされたら負ける。政治判断で全原発を止めてもいいと思った」と振り返る。 保安院は原発を推進する経産省資源エネルギー庁の「特別の機関」と位置付けられ、規制と推進を行き来する人事が当たり前だった。定年後は電力会社に天下りする道も用意されていた。松永も保安院長経験者だ。 事故やトラブルが起きれば立地自治体に赴いて再発防止策を説いて回り、安全神話づくりの片棒を担いだ。「保安院は原発推進のツールだった」と経産省OBは認める。 内部で電力業界と対等にやり合える人材育成をせず、原発の審査や検査で自分たちがやるべき書類作成を電力側に肩代わりさせて恥じることもなかった。そんな時に事故は起きた。 当時、寺坂はこうこぼしたという。「東電の人ってもっと優秀だと思っていた」 |
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