![]() |
![]() |
[2015_05_01_03]地震・津波被災を乗り越えた女川原子力発電所_渡部孝男_小保内秋芳_東北電力(電気学会誌_135巻5号_2015年2015年5月1日) | ![]() |
![]() |
参照元
04:00 1.はじめに 本稿では,2011年3月11日の地震・津波発生時に女川原子力発電所が,福島第一原子力発電所と同じ規模の地震や津波に見舞われたにもかかわらず冷温停止に至った主な要因および背景等について主として述べる。 2.地震・津波発生時の対応(1)(2) 2.1 プラント概要 女川原子力発電所は,太平洋岸の牡鹿半島に位置し(仙台市から約70km),敷地面積は約173万m2である。 1号機(52万4千kW)は,1984年に営業運転を開始,続いて2号機(82万5千kW)は1995年に,3号機(82万5千kW)は2002年に開始した。全号機とも沸騰水型軽水炉(BWR)で,原子炉格納容器の型は,1号機がマークIで2号機と3号機は改良型マークIである。また,発電所の敷地高さは海抜14.8mである。 地震が発生した時,約1590人(社員約330人,協力会社約560人,プラントメーカ約680人,見学者約20人)が発電所構内にいた。 (1)地震発生 2011年3月11日(以下,「3.11」),マグニチュード9.0の巨大地震が午後2:46に発生した。震源地は,発電所が位置する牡鹿半島から太平洋側に約130kmの地点であった(図1)。地震から約30分後に何波にもわたる最初の巨大津波が発電所に到達した。津波の最大高さは約13m(午後3:29)であった。 国土地理院によると,牡鹿半島一体が地震後約1m沈下したとのことから,津波が発電所に達したときは,敷地高さは約13.8mであったと推定される。それ故,津波は敷地を乗り越えてくることはなかった。 筆者は,地震発生時に事務棟で執務していたが,今までに経験したことのない地震の大きさと長い揺れのため,地面の底が抜けるのではないかと感じた。筆者を始め緊急時対応メンバーは,地震の揺れが収まるとヘルメットをかぶり,事務棟3階の緊急対策室に集合した。椅子に座ると直ちに,大津波警報発令(午後2:49)の確認,そして,原子炉自動停止,火災,浸水等の発電所情報を収集した。この時の通信手段は,社内通信電話(マイクロ波と光ケーブルから構成される)と衛星電話のみであった(固定電話と携帯電話は地震発生後まもなく通信不可となった)。そこで,発電所の情報を本店に伝え,本店は国や自治体等の機関に通報連絡を実施した。 また,女川町に通じる道路も地震と津波で被害を受け寸断され,発電所は孤立状態になった。発電所周辺の住民も家屋等に被害を受け,発電所に避難を求めてきた。最初は,PR(広報)センターに,次は,発電所の事務棟に受け入れたが,どんどん人数が増えたため最後は発電所の体育館に受け入れた。数日後,避難者の数はさらに増え360人を超え,約3か月間共に過ごした。(図2) 本店は,これらの避難者や発電所構内の人員に,食料,水,毛布等を提供するためにヘリコプターを手配し,最初のヘリコプターは翌日午前7:44に物資を積み発電所に到着した。 また,大津波警報が解除されるのを待って,発電所側から道路の復旧に取りかかり3月15日に町へ通じる道路を部分的に通すことができた。このため,翌日から発電所員の一部が車両で帰宅できるようになるとともに,自衛隊によって陸路の支援物資補給が開始された。 (2)冷温停止に向けての主要な時系列(1)(2) 1号機は,地震発生前は定格出力で運転中のところ,地震加速度大の信号により原子炉自動停止し,2台の非常用ディーゼル発電機(以下,DG)が自動起動した。3月11日午後2:55に起動用変圧器が停止したため,DGからの電力供給が開始された。これは,常用系の高圧電源盤焼損により起動用変圧器が停止し,非常用の高圧母線の電圧が低下したためと推定される。原子炉水位の制御は,原子炉隔離時制御系により原子炉の減圧は逃し,安全弁により行われ,3月12日0時58分に冷温停止した。 2号機は,定期検査後の原子炉起動中(3月11日午後2:00)であり,地震加速度大の信号で原子炉停止し直ちに冷温停止になった(3月11日午後2:49)。3台のDGは自動起動したが,外部電源が利用可能であったため待機状態を維持した。津波の襲来により,原子炉補機冷却系(以下,RCW)(B)と高圧炉心スプレイ冷却系(以下,HPCW)の機能が喪失し2台のDGが停止した。残りのRCW(A)が正常だったため,もう一台のDG(A)は利用可能であった。 3号機も1号機と同様定格出力で運転中のところ,地震加速度大の信号で原子炉自動停止した。津波襲来の後,タービン補機冷却系は停止したが,RCWは影響を受けなかったため,原子炉の減圧と冷却は成功裡に行われ,3月12日午前1:17に冷温停止になった(詳細は文献(1)参照)。 3.主要設備被害(1)(2) 3基とも安全に停止したが少なからぬ被害があった。1号機は,津波による重油タンクの倒壊と常用系の高圧電源盤の短絡による焼損が発生,2号機は,RCW熱交換器(B)とHPCW熱交換器のある原子炉建屋付属棟が津波により一部浸水し2基のDGが停止した。(詳細は文献(1)参照) (1)重油タンクの倒壊。 1号機補助ボイラー用の重油タンクは海抜約2.5m(地盤沈下約1mを考慮した値)の位置に設置されていたため津波によって倒壊し重油が港湾に流れた。津波襲来前の残油量は約600kLであったと推定される。環境への影響を最小限にするために,大津波警報が解除された後,オイルフェンスや油吸着マットを敷くなどの対策を講じた。 (2)遮断器焼損 3月11日午後2:57に火災警報が1号機中央制御室に鳴り響いた。直ちに,地元の消防署に通報したが,地震・津波被害により消防士は発電所へ向かうことはできないとの連絡があった。そのため,所内の消防隊が消防服をまとい現場確認に向かった。この消防隊は,社員と協力会社の10名で構成され,タービン建屋地下1階にある常用系の高圧電源盤が火元であり大量の煙を発生していることを確認した。粉末消火器を用いて消火し3月11日午後10:55に鎮火したことを確認した。 常用系高圧電源盤の遮断器は,吊り下げ型構造のため地震により激しく揺れ,アークが発生しケーブルの絶縁被覆を溶かし大量の煙が発生したものと推定される。この焼損した遮断器はすでに耐震型に更新した。 一方,安全系の高圧電源盤は,耐震性を有する型で地震によって影響を受けなかった。 (中略) 文 献 (1)原子力安全・保安院報告書:「東北地方太平洋沖地震およびその後に発生した津波に関する女川原子力発電所の状況について」,(2011) (2)渡部孝男・小保内秋芳:「地震・津波を乗り越えた女川原子力発電所」,2013 年1月号 pp.7─10(エネルギーレビューセンター発行)(2013) (3) A. Obonai, T. Watanabe, and K. Hirata : ‘‘Successful Cold Shutdown of Onagawa : The Closest Nuclear Power Station to the March 11,2011, Epicenter”, Nuclear Technology, Vol.186, No.2(2014) (4) 女川原子力発電所:「発電用原子炉設置変更許可申請書」(2 号炉発電用原子炉施設の変更)(2013) 渡部 孝男 わたなべ・たかお 東北電力(株)常務取締役 小保内秋芳 おぼない・あきよし 東北電力(株)原子力部副部長 |
![]() |
![]() |
KEY_WORD:アーク放電火災_:ONAGAWA_:FUKU1_:HIGASHINIHON_: | ![]() |
![]() |