| [1971_12_05_01]北奥羽の山河_むつ小川原の巨大開発(デーリー東北1971年12月5日) |
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参照元
04:00 あすを呼ぶ むつ小川原 豊富な水と広い土地が魅力 企業大型化と公害のない国を( P8-P11 ) 新全総の4つの課題 昭和44(1969)年5月に閣議決定された新全国総合開発計画(新全総)は、その基本的な目標を(1)人間と自然の調和を図り、自然を保存、保護する(2)全国土を有効に活用するため、開発の基礎条件を整備して開発の可能性を全国土に拡大する(3)地域の特性に応じて独自の開発整備をし、国土利用を再編成し、効率化する(4)経済社会の高密度化が進むため、都市、農村を通じて安全で快適な環境条件を整備保全する―の4つの課題を調和させながら、高福祉社会のなかで、人間のための豊かな環境を創造することにおいている。 開発のプロジェクト 新全総のなかで開発戦略として新しく打ち出されもの、今後国造りをするうえで行われる巨大な投資のうち、とくに戦略的に重要なものを大規模プロジェクトとして取り上げ最重点をおく。地域開発の機動力となり、波及効果の高い事業計画で(1)道路網、新幹線網などのネットワーク形成に関するもの(2)工業基地、流通基地など規模の利益を求め経済の効率化を達成するもの(3)環境保全−の3つに分けられる。 石油精製、石油化学、鉄鋼、電力などの基幹産業は経済の発展に伴って規模を拡大していかなければならない。しかし、都市周辺では公害問題などで適地もないし、またあったとしても立地がむずかしい。それに既成の大工業地帯は用地用水面の制約、輸送条件の悪化などから立地条件の有利性も失われ、技術革新によるスクラップ化が進展することもあって、遠隔地で新たに基幹産業を核とする大規模な生産活動をするにふさわしい地区に、巨大な工業基地を建設しようとする構想が生まれた。 新全総では交通や通信のネットワークを全国に張りめぐらすことにしており、そうなれば企業は遠隔地の不利を受けなくてすむようになる。規模の利益を追求し、大型化しようとする企業の要求と、公害のない国づくりを要望する国民の要求が、一致して遠隔地立地を生み出したわけである。 新全総が閣議で決定されて間もなくの昭和44(1969)年7月に、東北経済連合会がまとめたむつ小川原地区の開発の意義の紹介文の中から引用することで、むつ小川原地域が取り上げられた理由がはっきりするであろう。 昭和50年代の東北で「最も期待されるのが、本州最北端に位置する小川原湖周辺の大規模工業立地である。わが国の三大工業地帯は、昭和50年代後半にすでにスクラップ化されるものが多く、それのビルド地帯として「非連続」の工業立地が期待される。すなわち、陸奥湾石油貯蔵基地をベースとする石油精製、石油化学および造船などの大型工業、原子力発電所を中核とする鉄鋼、ウラン濃縮工場などの立地が考えられる。また、小川原湖の豊富な水資源を基礎とする紙パルプなどの大規模工場が出現するとしている。 また港湾については、「小川原湖周辺地域の大工業地帯を新規に開発するため、大規模な小川原湖工業港を建設する。これらの工業港は工業立地の大型化に対処し、それぞれ大型の鉱石専用船、タンカーなどを受け入れるものを建設する。とくに石油貯蔵基地をもつ陸奥湾は、50万トン級タンカー用シーバースを建設する」と青写真を描いている。 さらに「小川原湖工業地帯は、南は八戸から北は野辺地にいたる南北約50km、東西約30kmの総面積約1500平方kmにおよぶ大平原で、十和田、八甲田の東部に広がる三本木原と、湖水面積で十和田湖をしのぐ小川原湖をその中核とする」とし、原子力発電所にもふれ、「濃縮ウラン工場を下北地区に建設される原子力発電所に隣接立地することが望まれる。この場合、さらに鉄鋼およびアルミ製錬所を考えれば、その発電規模は400万kW程度となる」と紹介している。 地域の範囲は現在予想されるものより南へ下がっており、原発の規模も小さいが、ほぼ的をえているようである。要するに、国有地や山林、原野の多い広大な土地と、小川原湖の水、人口密度が少ないことが、一層脚光を浴びるようになった理由である。 粗鋼と特殊鋼の年産2000万トン むつ小川原の巨大開発と言われるが、それではその規模はどの程度のものであろうか、昭和45(1970)年11月に県から出された資料をもとに想定してみよう。 ▽鉄鋼および関連産業=粗鋼、特殊鋼など年産2千万t、用地1千850ha、従業員は直接雇用1万4千人、間接雇用が1万5千人。新日鉄八幡が年産960万t、最大規模の福山、清水、大分が1千500万tなので、日本一の規模となる。 ▽アルミニウムおよび関連=アルミの精製と圧延加工あわせて年産百万t、用地530ha、従業員2万6千人。昭和45(1970)年度のアルミ需要が103万1千tなのでほぼそれに匹敵する。 ▽非鉄=電気銅、電気鉛、電気亜鉛あわせて年産72万t、そのほか伸銅が年産7万2千t、電線が年産48万t。これらの用地が395ha、従業員7千290人。 ▽CTS=原油2千万キロリットルで用地は660ha。 ▽石油精製=原油処理1日150万バーレル、用地1700ha、従業員530人。昭和45(1970)年度の生産能力が、一日348万バーレルなので、ほぼ半分の能力を持つ。 ▽石油化学=エチレン等年産260万t、用地1万870ha、従業員1万1600人。昭和45(1970)年度のエチレン生産能力は320万tで、その半分以上の能力である。 ▽電力=原子力発電800万kW、用地330ha、従業員560人。これは1基100万kWを8基建設する。これまでの最大は東電大熊の1号機の46万kW。 ▽鋼鉄造船=タンカーなど年産100万重量t、用地120ha、従業員3千人。 これらの立地想定業種をあわせると、用地は7千455ha、従業員は6万2980人となり、用水使用量は淡水251万5千t、海水3084万6千tというぼう大な工業基地が建設されることになる。 このようなわが国でかつてない、もちろん、世界でも例のない大規模工業開発の開発主体はいったいどこになるのであろうか。 青森県の力ではとうてい出来ないし、1企業にまかせておいたのでは効率的なコンビナートの形成は無理である。そこでナショナルプロジェクトということばが出てくる。この開発を、国策的な大事業として取り上げ、公共投資と民間資本の有効な導入をはかろうというのである。 さに発足した国、県、財界の出資による「むつ小川原開発株式会社」は、土地先行取得のための資金調達のためであり、県の「むつ小川原開発公社」は、会社の委託を受けて土地買収の実務を担当する。また7月に予定されている「むつ小川原開発総合センター」では、長期的な展望にたってこの開発の基本計画を策定する。この三者が柱になることは確実である。 そのためには国の一元的な行政が必要であり、さきの閣議で佐藤首相がそれを指示したことによってナショナルプロジェクトとして第一歩を踏み出したといえる。 ================================= 原子力発電所の立地決まる 東北電など用地取得の計画( P32-P36 ) むつ小川原地域の大規模工業開発は、まだ基本計画も発表されず、開発に伴う住民対策すらも明示されていない。にもかかわらず「むつ小川原開発株式会社」の半官半民の会社や、「県むつ小川原開発公社」が用地の先行取得のために設立され、また数多くの土地ブローカーが現地に入り込み地価をつり上げている。 どのような企業が、いつどの地点に立地されるのか、全くわからないまま巨大開発が始動しようとしている。この中にあって、東京、東北両電力の原子力発電所の立地がいち早く決まった。昨年6月、東京電力から青森県に対して正式に要請があった。それによると、東北電力との共同で用地の取得計画を進めるとともに実際の用地取得については青森県があたることとし、6月25日に用地取得に関する委託契約を結んでいる。計画では下北郡東通村の老部(おいっぺ)ー小田野沢地内の270万坪(891万平方m)のうち東京電力が145万坪(478万5000平方m)東北電力が125万坪(413万5000平方m)を予定している。 この用地買収に当たっては、一部部落民の反対もあったが、青森県ではむつ市に現地事務所を設置して連日説得に当たり、すでに90%以上の地権者と売買契約を結んでいるというのが実情である。 おりしも国土総合開発審議会の大規模工業基地研究会の6月30日の報告では、北東地域(苫小牧東部、むつ小川原、秋田湾)は原子力の利用を考慮して構想を固めることが必要と指摘しており、下北地区の原子力発電所建設はいよいよ重要視されることになろう。 下北が東北の原子力発電基地に 昨年の3月以降、日本原子力発電会社の敦賀、関西電力の美浜、東京電力の福島原子力発電所と、3つの大型原子力発電所があいついで営業運転を開始し、わが国もいよいよ本格的な原子力発電時代を迎えた。 わが国で最初に実用化されたのは昭和32(1957)年に創設された日本原子力発電株式会社が茨城県の東海村に建設した東海発電所だ。昭和34(1959)年12月に建設に着手し、同41年7月から日本で初めての商業用原子力発電所として営業運転を開始したがこの発電所の原子炉はイギリスに注文したもので、核分裂を行う燃料には天然ウランの金属棒を使用し、中性子の速度を減速して核分裂を起りやすくするための減速機には黒鉛を、また原子炉から核分裂によって発生する熱をとり出すための冷却機には加圧された炭酸ガスを使用するコールーダーホール改良型(略称GCR)と呼ばれるもので、出力は16万6千kWである。 その後、昭和45(1970)年3月には同じく日本原子力発電会社が福井県敦賀市に出力35万7千kWの敦賀発電所を、次いで関西電力が福井県の美浜町に出力34万kWの美浜発電所1号機を、ことし3月には東京電力が福島大熊、双葉両町にまたがる出力46万kWの福島原子力発電所1号機をそれぞれ完成させ、大型発電所があいついで営業運転にはいった。 これらの発電所の原子炉は燃料はいずれも濃縮ウランを使用し、減速機、冷却機とも軽水(真水)を使用するもので、敦賀と福島は沸騰水型(略称BWR)、美浜は加圧水型(略称PWR)と呼ばれている。この大型原子力発電所のか働によって、出力合計は132万3千kWとなっている。 昨年12月に発表された昭和45(1970)年度電力長期計画によると、昭和45−54年度の10年間に着工する原子力発電所は49基、4655万kW、同期間中に運転開始するものが32基、2405万kWとなっており、原子力発電の開発計画はきわめて意欲的である。 各電力の開発計画のうち、青森県東通村に用地を求めている東北、東京両電力をみると、東京電力はすでに出力78万4千kWの福島発電所2、3号機に着工しており、福島発電所に5号機まで4基、同県富岡、楢葉両町に100万kW6−8基を計画、青森県下北地区は候補地とされている。 また、東北電力は宮城県女川町に52万4千kW1基の着工にはいろうとしているほか、福島県浪江町に75万kW1基を計画、新潟県巻町と青森県下北地区が候補地とされている。 このように、東北地方の原子力発電は新潟、福島、青森の3地区がセンターになることは確実で、今後着工されるのは1基で100万kWから150万kWといった巨大なものになる。青森県下北地区の場合は、昭和45(1970)年度電力長期計画の中には含まれていないが、今後電力需要が増大し、現実にむつ小川原の巨大開発が始まれば、両電力を合わせて2000万kWの一大原子力発電センターが形成されることになる。 火力よりも発電コストを安価に わが国の経済成長にエネルギーは欠くことの出来ない重要なものである。それでは電力はどのくらい必要になってくるのだろうか。 原子力産業会議の長期計画では昭和65(1990)年度に1兆6千5百億kWH、つまり昭和43(1968)年度の2千436億kWHの6.6倍になる計算になっている。このころになると所得水準は向上し、建て物の高層ビル化、地下街の増大などにより冷暖房、照明、機械化がすすみ、地域冷暖房もすすむものと予想される。また、海水の淡水化や積雪地帯のロードヒーテング、それに自動車も電気自動車が中心となっていることが予想され、工業用に比べいわゆる民生用の電力消費のウェートが大きくなっていく見込みである。 こうした電力の需要はわが国の経済成長を前提としたものである。GNP(国民総生産)は昭和33年に16兆円だったものが、昭和43(1968)年には46兆円となり、この間の成長率は年平均11.3%であった。昭和43(1968)年から昭和65(1990)年まではこの成長率は平均9%くらいと予想されているので、昭和50(1975)年には96兆円、昭和65(1990)年には310兆円(昭和40(1965)年価格)ということになる。そして産業構造は昭和40(1965)年の第一次産業8.4%第二次産業44.9%、第三次産業46.7%からそれぞれ2.0%、44.0%、54.0%と変化していく予想である。 こういう産業構造の変化、経済成長のもとで総エネルギー需要は昭和65(1990)年度に石油換算で13億kL(GNP310兆円時)と予想される。わが国の石油需要は99%までが輸入であり、90%は中東に依存している。仮に13億kLの原油を中東から運ぶとすれば20万トンタンカーが500隻も必要であるし、また、その全部を製油所を通すとすれば一日に1500-1700バーレルの規模となり、現在の港湾立地からみると処理は不可能に近く、石油火力発電は輸送面からも限界になる。 ここで登場するのが原子力発電所である。10万kWの発電所は火力だと1日に500kLの石油が必要だが、ウラン235だとわずか300g、また発電コストも技術の進歩と出力の大型化に伴って火力よりも次第に安くなる傾向にある。 わが国における発電の構成比をみると、昭和45(1970)年度は水力が32%、火力が67%、原子力が1%だったのが、昭和55(1980)年度はそれぞれ22%、60%、18%となり、昭和65(1990)年度は22%、36%、42%となり、原子力が火力よりも高い比重を持つことになる。また現在の発電コストは6.29円くらいで、新鋭石油火力は2.3ー2.4円くらいだが将来は50万kW級で2.4−2.9円、百万kWで2.0ー2.4円、150万kW級では1.7−2.3円まで低くなる見込みだ。 放射能に二重、三重の安全装置 原子力発電の安全性 原子力発電の安全性を説くには、まず原子力発電の仕組みを知らなければならない。 発電は、水力、火力、原子力の3種類が一般的である。水力発電は水の力で水車をまわし、その回転力で発電機をまわす。火力発電は石炭や石油をたいて湯をわかし、発生する蒸気でタービンを回転させ、その力で発電機をまわす。 原子力発電は火力発電とよく似ており、石炭や石油のかわりに原子燃料のウランを使う点を除けばあとは全く同じ仕組みである。ただ火力発電のボイラーが原子炉に置きかえられたということだ。 発電用原子炉は、燃料であるウランを核分裂させ、そのエネルギーを発電に必要な分だけ連続的に取り出す装置である。ウランの核分裂といえば、日本人はすぐ原子爆弾を頭に浮かべるが、原理は同じでも本質的には違うものである。 天然ウランは核分裂するウラン235と核分裂しないウラン238の混合物で、ウラン235はわずか0.7%より含まれていない。原子爆弾はウラン235を100%に濃縮したものだが発電用原子炉に使うのはウラン235を2-3%程度に濃縮したものである。ウラン238は核分裂しないばかりでなく、核分裂の急激な増加をさまたげる性質をもっている。また、現在日本で建設されている軽水型の原子炉は核分裂が増加して、原子炉内の温度が上昇すれば反射的に核分裂が押えられる性質があるので、原子炉が完全に無制御状態になっても原子爆弾のように爆発することはありえない。 原子炉を必要に応じて動かしたり止めたりするためには、核分裂に必要な中性子を吸収する棒状の制御機(制御棒)を燃料の間に挿入してやると止まり、逆に制御棒を抜くと動き出す。 原子炉に故障が起った場合、緊急停止として制御棒がいっせいに炉内に挿入され、制御棒の1本が故障して挿入されなくても原子炉の運転は完全に停止されるように設計されており、制御棒の働きが十分でない時には別に装備された液状の薬品、あるいは大量の安全鋼球が大量に投入されて原子炉の働きが止まるようになっている。 また、何かの原因で中性子があらかじめ定められた量より多くなった場合は、原子炉の出力が大きくなったことを意味するが、いつも測定装置ではかられており、一定量を超えれば緊急停止装置が働いて自動的に原子炉が停止する。 中性子の測定装置が全部故障したとしても、燃料の温度や炉内の圧力を測定する装置があり、一定基準を越えると原子炉は自動的に働きを止めるようになっており、二重、三重の安全装置がしてある。さらに地震に対しても一定以上の大きさになれば原子炉は直ちに止まるようになっており、関東大震災の3倍の地震でも原子炉がこわれないようになっている。 発電所の放射能管理 原子炉がいかにじょうぶに作られ、故障があった時には自動的に停止するとしても、放射能が外部に大量にもれたらたいへんなことになる。原子力発電所から放射能が出ないというというのはウソで、出ていることは出ているが、それは問題にならないほど少ない。 ウランが核分裂した結果放射性物質にかわる場合、発電用原子炉は放射能をとじ込めるための防壁が何重にも設けられている。軽水型の原子炉ではウランは焼結ペレットという状態で、放射能が遊離しにくいようにしてあり、さらに丈夫な被覆機の中に密封されている。さらにその外側は高い圧力に耐えられる原子炉容器があり、またその外側からは格納容器が原子炉容器とその付属設備をすっぽりと包み込んでいる。 また、原子炉容器内外の物質が放射化される場合、軽水炉では冷却機である水が放射化されるが、原子炉内を循環するだけであり、途中で浄化装置を設けて放射性物質が取り除かれる仕組みになっており、被覆機に穴があいた場合でも同様に取り除かれる。 浄化装置で取り除かれた放射性物質は気体状のものと液体状のものがあるが、気体状のものは放射能減衰タンクで放射能の弱まるのをまって安全を確めてから大気中に放出される。液体状のものは濃度の濃いものは貯留タンクで減衰され、水分を取り除いて濃縮され最後にコンクリートなどで固めて放射性などが浸出しないようにして、安全に処分される。作業員の衣服や作業モップなどの固体物も同様にして処分される。 一般人の放射線許容量は1年間に500ミリと決められているが、東海発電所の場合は1年間に10ミリレム、東電福島発電所は同じく20ミリレム以下と定められ、これまでにこれを上回るような放射能が検出されたことはない。 原子力発電で考えなければならないことの一つに温排水の問題がある。蒸気でタービンを回したあと、蒸気を水にもどすために大量の冷却水が必要である。これは火力発電でも同様であるが、原子力発電の出力が大きくなればそれだけ多くの冷却水が必要になる。この冷却水は海水を利用して海に排出しているが、その温度差は5−6度。尾鷲の火力発電所(出力75万kW)で実測した結果では、平均して出口から数百mの範囲で海面から数10cmないし2mの深さの海水に2−3度の温度上昇が認められたが、それ以上離れたところでは変化は認められていない。 ================================= 下北に"原子の火"ともる 機能テスト後に燃料を積む( P49-52 ) 昭和42(1967)年8月31日、政府はわが国初の原子力船の母港を横浜市の埋め立て予定地に建設する方針で横浜市と交渉してきたが、市当局が強く反対したため、同地区をほぼ断念し、新しい候補地としてむつ市の大湊を内定、県当局に対する打診工作を開始したことによって、本州さい果ての地”下北ふ頭”が一躍脚光を浴びた。 その後、日本原子力船開発事業団関係者の現地視察、地元革新団体の反対運動、青森県知事の安全性や軍事利用、地域開発への効果などについて政府および日本原子力船開発事業団への照会などがあり、約2カ月後の10月4日、竹内青森県知事が正式に同意の決意を表明。 ここに”原始の地”に”原子の火”がともることになった。 原子力船と定係港の建設は順調に進められており、また東通村には東北、東京両電力の原子力発電所用地が確保され、原子力製鉄所構想が打ち出されるなど下北半島は原子力センターとしての機能を備えることになりそうである。 原子力船と定係港 わが国初の原子力船「むつ」は、昨年7月20日、恐山大祭と符節をあわせるかのようにしてその威容を下北ふ頭に現わし、すでに完成していた原子力船定係港に静かに接岸した。 定係港着岸後は、着々と内部装備が進められ、現在では原子炉も据え付けられており、あとは原子力燃料をつみこめばよいばかりになっている。しかし、わが国初の原子力船であり事故を起こしてはならないということから目下船内の配線や配管の機能試験が慎重に行われている。 この機能試験は9月いっぱい続けられ、この試験で合格すれば、いよいよ原子力炉をか動させたと同じ条件での各種の試験が行われ、順調にいけば来年の6月末には船体としては完成品となる。この段階ではまだ原子燃料を積み込んでいないので原子力船とはいえないが、船としては完成したことになる。 その後、2年間海に停泊したままだったので、一度東京・豊洲の造船所に里帰りして海のアカを落として化粧直しをし、再び下北ふ頭へ帰り7月から8月にかけて原子燃料の積み込みが行なわれる。これまでの作業はきわめて順調に進んでおり、今後も事故がなければ8月中旬ころまでには原子炉内で臨界に達し、いよいよ原子の火が下北ふ頭にともることになる。 原子燃料を積み込んで臨界に達すれば、原子力船としては完成するわけだが、今度は出力を押さえながら各種機能が正常に働くかどうかを試験し、湾内などで慣熟訓練にはいり、昭和48(1973)年の夏からおよそ2年半にわたって洋上での航海に乗り出すことになっている。 原子力船「むつ」は、あくまでも実験と乗員訓練がおもな目的であり2年半の航海ではおよそ百項目にわたる試験、研究が繰り返されることになっている。 「むつ」は長さ130m、幅19m、総トン数8200t、速力16.5ノットで、59人の乗員と2400tの貨物を一度積み込むと2年半は燃料の補給がなくとも走り回れる。 濃縮ウラン製造 原子力センター むつ市に原子力船定係港が建設され、東通村には原子力発電所の立地が確定している。また将来は原子力製鉄もこの地に予定されており、国土総合開発審議会大規模工業立地部会でもむつ小川原は原子力を中心に考えるべきだと指摘しており、むつ小川原開発の中で下北は当然原子力の中心地となることが予想される。 原子力製鉄用の高温ガス炉が開発されると、高温ガス炉のねらいは、製鉄プロセスへの熱供給とともに、発電効率をも高めようというものだが、これをもっと多角的な利用ということが考えられる。この高温を利用して原油から還元ガスとオレフィンを発生させ、還元ガスを製鉄工程へ、オレフィンを石油化学工程に送り込む。また、蒸気発生器で蒸気を発生させ発電と石油化学やアルミ製造工場へふり向け、余りの蒸気で海水脱塩施設で真水を生産するという原子力製鉄・化学コンビナートの形成も可能である。 このように一地区に原子力コンビナートが形成されると、当然廃棄物処理、使用済み燃料の再処理などの施設も必要になってくるであろう。さらに、日本原子力産業会議では将来わが国でも濃縮ウランを製造する計画をもっており、下北もその有力候補地となっているので、下北の将来はわが国の原子力センターとしての地位を占めるものとして期待される。 "夢の炉"を実現へ 原子炉の開発 現在わが国でか動している原子炉は、イギリス生まれの天然ウラン、ガス冷却型原子炉(東海発電所)、アメリカ生まれの濃縮ウラン、沸騰軽水型原子炉(福島発電所他)、同加圧軽水型原子炉(美浜発電所)などである。これらの在来炉よりも核燃料の有効利用、核燃料利用の多様化、経済性の向上などを目ざして、各国が開発を進めているのが新型転換炉で、重水減速高温ガス冷却炉、重水減速沸騰軽水冷却炉などがある。 この新転換炉は、あくまでも中間的なもので、核燃料を燃やすとそれ以上の核燃料を生み出すといわれる”夢の原子炉”高速増殖炉開発までのつなぎ役にすぎない。 以下、これらの原子炉のわが国における開発計画などについてふれてみよう。 「新型転換炉」=動力炉開発基本計画によれば、新型転換炉については初期装荷燃料として微濃縮ウランまたはプルトニウム風化天然ウランを用いる電気出力20万kW程度の、重水減速沸騰軽水冷却型の原型炉(経済性や安全性を調べる炉)を昭和49(1974)年ころに臨界(核分裂が持続的に進められる境目)に至らせることが目標とされている。この原型炉の具体的な計画については、原子力委員会で評価検討が行なわれ、動燃事業団(動力炉・核燃料開発事業団)の計画通り、福井県敦賀地区に原型炉の建設が進められている。 このほか、鉄鋼業界からの強い要望もあり、製鉄ガス還元方式を目ざして原子炉出口が摂氏1千度の高温ガス炉の実験設計も行なわれている。 「高速増殖炉」=原子炉に使用される燃料にはウランが用いられるが天然ウランはウラン238(99.3%)、ウラン235(0.7%)、ウラン234(微量)の3種類の同位元素からできており、このうち核分裂をおこすのはわずか0.7%よりないウラン235だけだ。現在の原子炉は、このわずか0.7%よりないウラン235を使用しており、他のウランはムダになっている。 天然ウランの大部分を占めるウラン238は中性子を吸収させるとプルトニウム239になり、これは核分裂をおこすので燃料として使用することが出来る。原子炉をうまく設計すると核分裂を続けながらウラン238に中性子を吸収させ、プルトニウム239をつくることができ、しかも1個のウラン235の核分裂で1個以上のプルトニウム239が生まれるようにもできるので原子燃料がふえることになる。このような原子炉を高速増殖炉と呼び、核分裂を続けながらそれ以上の核燃料を生み出すので”夢の原子炉”ともいわれている。 動燃事業団大洗工学センターでは高速増殖炉実験炉の基礎工事が行なわれている。この実験炉は出力5万kWで、安全性を考慮して地下30mの穴の底に据え付けられ完成は昭和48(1973)年度末の予定。この実験炉はおもに燃料や材料の照射試験として使われるが昭和48(1973)年度初めから電気出力30万kWの原型炉の着工が予定されている。 施設を急ピッチ 模擬装置で訓練 原子力船の定係港では、将来原子燃料を取り替えたり、航海中船内にたまった放射性廃棄物の陸揚げなどを行うほか、原子力船の委員の養成訓練も行なう。また原子力船「むつ」は、原子炉の組み立て、原子燃料の装荷などを定係港の施設を利用して進めている。 定係港のおもな施設としては長さ175m、エプロン幅25m、水深8mの岸壁と75tのつり上げ能力をもつ岸壁クレーンのほか、燃料交換棟(とう)、放射線管理設備、船員の養成訓練用シュミレーター(むつの運転操作盤の模擬装置)などがある。このうち廃棄物処理棟を除いてはすべて完成している。 燃料交換棟は床面積2460平方mで75tの天井クレーン、燃料交換設備、燃料貯蔵設備、除染設備、補修用工作設備、放射線管理設備等が設けられており、原子炉の組み立てもこの棟を利用して行なわれた。 動力棟は床面積400平方mで受変電設備、周波数変換機、ボイラー、空気圧縮機、給水設備、消火ポンプなどが設備されている。シュミレーターは「むつ」と全く同じ運転操作盤の模擬装置がおかれ、現在1人の技術指導員の下で2人が訓練を受けており、将来は運転士官、甲板士官、機関部員の全部が訓練を受けることになっている。 このほか、定係港に隣接して原子炉と全く同じ大きさの模型や原子力に関する各種のPR用展示館も建てられている。 10年後に世界一 原子力製鉄 新日鉄の稲山社長が去る6月、東北経済連青森地区懇談会に出席した時の講演で、”むつ小川原地域へ鉄鋼関連企業が進出する場合、時代のすう勢として原子力製鉄所を建設すべきだ。原子力製鉄所については現在研究段階だが、10年後には実現するだろう”といっている。これは、東通村に原子力発電所が建設されるのでそれと結びつけた単なる思いつきではない。 わが国の鉄鋼生産高は1億tに近づき、目下対米輸出の自主規制をしているが、それでも昭和45(1970)年度の輸出額は25億ドルにのぼっている。そして現在生産設備の調整をしているとはいえ、昭和50(1975)年には生産1億5千万tと世界一の鉄鋼生産国になろうという勢いだ。 しかし、わが国の大型高炉ー軽炉方式には良質の強粘結炭が必要でそのほとんどが米国依存。ところが、米国炭への需要の急増、労務者不足による生産不振から値上がりがひどく、加えて資源の減少と日本への輸出規制の圧力が強く、供給の先行きは見通しがたたなくなり、製鉄方式の転換が唯一の解決法とみなされるに至った。 このため鉄鋼業界では高温ガス炉開発の要望を出し、日本原子力研究所で開発を行なうことになり、製鉄ガス還元方式を目ざして原子炉の出口温度が摂氏1千度の実験炉設計を進めている。 しかし、現在の軽水炉では冷却機の出口温度が約400度、英国型のガス型でも600度以下なので、1千度というのは大変な高温で、燃料の中心部では1500−1600度にもなるし、この高温にも耐え、放射能にも耐える構造材料や、この熱を製鉄プロセス(工程)へ伝える熱交換機などの開発がキーポイントとなる。実験炉の完成予定は昭和50(1975)年の予定であり、計画通り進めば10年後の昭和50年前半には原子力製鉄所が実現する可能性が高い。 |
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